推し活という言葉は現代ではもう一般的な言葉になっていると思います。実際に私も雑談をする際にも「推し」とかいますか?と聞いたりします。かなりのファンでなくても、「○○っているグループ好きですね」という風に何かしら相手の好きなものが返ってくる確率が高いです。すでに現代では受け入れられてる文化だなと感じます。
しかし、私は推し活とかがいまいち理解できない人間でした。相手の好きなものは尊重したいし、推しの話題を振られても自分の好きなものを返すぐらいはできますが、推し活というものは自分には全く関係ないものだと線を引いていました。自分の人生のこと考えるほうが大事じゃね?と斜に構えた感じだったと思います。
ところが最近、推しというものへの理解が一気に深まった出来事があったので、この気持ちを共有したと思います。
推しを見つけたかも
いままで、芸能人やアイドルにはまったことがなかったため、推しの感覚がわからなかったが、ついに推しを見つけてしまったかもしれません。自分の場合はYouTuberのあるグループです。何となくそのグループをみると元気が出る。なぜか自分も自然と笑顔になっていて動画の更新を楽しみにしてしまっているという状態です。これが推しなのかと少し感動してしまっています。
なぜ急に推しができたか、前まではタレントを見てもかわいい、かっこいいな程度の感情しかいだきませんでしたが、最近になって頑張ってるなとか、元気もらえるなとかそういう目線が増えてきた気がします。すこし自分が大人になったかも?
推し活に無関心でしたが、推し活のメリットについて考えていきたいと思います。
推し活は建設的な活動?
推し活を遠ざけていた一番の理由としてはその時間がもったいないのではないかという考えからです。しかし、その考えが覆させつつあります。まず、そのグループの動画をみるためにやるべきことをさっさと終わらせる気力がわく。というメリットがあります。10分程度の動画を歯磨きしながらみたりしますが、その歯磨きにたどり着くためにはお風呂やご飯を早く終わらせる必要があります。自分の活動にメリハリをもたらしてくれることがわかりました。
後、会うことは一生ないけど何となく身なりに気を付けるようになる。というのもあります。推しがこういう人がかっこいいとかいうのを言ってたらちょっと自分もそれに近づこうと食事に気を付けたりとかするという恥ずかしい現象も起きています。
今まで推し活とかは受動的なもので、能動的なものではないと思っていましたが、意外と能動的な活動の源になったりするみたいで良い発見になりました。
結局昔から推し活ってあるから大事なものなのかも
推し活について考えてみると神をたたえたり、自分の手の届かないであろう憧れの存在を追いかけるのは歴史上ずっと繰り返されていると思います。推しによって人生が狂わさせる人もいるのかもしれませんが、人生のエネルギー源としてうまく利用すれば自分の良いアイデンティティになりえると思います。
時代は繰り返すとよくいいますが、神とか一個の特別な存在から今は推しの対象が多岐にわたってもう何でもありの時代になっています。次の推しの進化系はなんになるんでしょうか。また、なにか特別な一個の存在に多くの人が熱中するとしたら、全知全能のAIにみんなが陶酔するみたいな時代がくるかも?それか個別化がすすんで、マンツーマンのAI先生が生まれつきいて、その人に従うのが良いとさせる時代がくるとか?
未来は誰にもわかりませんが、未来の推し活がどんなものになっているかも興味がでてきました。