ニーチェに学ぶ人生の変え方②

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ニーチェに学ぶ人生の変え方①ではニーチェのキリスト教批判の元となったルサンチマンやニヒリズムについて解説した。今回はニーチェが提唱した永遠回帰の考えについて「ニーチェ入門 竹田青嗣」から学んだことを解説していきたい思う。

永遠回帰とは?

 永遠回帰とはニーチェが提唱した一種の問いで、「永遠に今の人生が繰り返されるとしたらそれを受け入れられるか」というものである。ルサンチマンに囚われている状態では自分の不幸を他人のせいにしているため、自分の人生を肯定することができず、永遠回帰に耐えることができない。ルサンチマンにとらわれず、自分の人生に集中出来ている人は自分の人生を肯定し受け入れることができるため、永遠回帰にも耐えられるということをニーチェは説いているらしい。

 また、この永遠回帰に耐えるために、持つべきものを「力への意思」とニーチェは解説している。簡単にいうと成長したい、いろんなことを知りたいという欲求である。さらにこれを持っている人達を「超人」と呼んだ。私は哲学の素人で、あまり詳しくないが力への意思を備えた超人を目指すという概念は今の時代にもフィットする考えだなと率直に感じた。

 外部(神、道徳、伝統)から生きる意味が与えらるのが昔は当たり前だったと思うが、自分の中の成長への欲求に従って生きるべきたというニーチェの考えは新鮮であったんだろうと思う。

実際にこの考えを生活に活かすには?

 簡単にまとめると、外部から与えられた理由からではなく、自分から湧き出る成長への意思を持つべきで、そういった考えのもと行動すべきだということ。でも実際、普段自分たちがやっている仕事内容は自分で選べない人が多いだろうし、人から振られる仕事も多い。やりたくない仕事もあるはずだ。いかに早く終わらせるか、その嫌な仕事から自分の成長のために活かせる部分はないのかと一度考えて作業にとりかかるのも良いかもしれない。

 最近の私の例をだすと、業務の中でグループを作り組織運営のために各々のグループで活動していかなくてはならないのだが、年齢的に取りまとめ役をすることも今までなく、下っ端ポジションでぬくぬくと安心して仕事をしていた。しかし、今度そのグループの人員入れ替えとともにまさかの取りまとめ役ポジションにつかされた。リーダー的なポジションは嫌で人生の中でもなるべく避けてきたが、コミュ力向上、将来後輩が増えた時のための練習とおもって自分から出てきたやる気を大事にしながら頑張ろうと思う。

 他の人との現状と自分を比較するルサンチマンにとらわれずに自分の中から湧き出た成長したい、知りたいという欲求に常にアンテナをはって仕事を頑張ると人生の生きる意味などの抽象的な問題に悩まされることなく成長していけるかもしれない。

ニーチェとナチズム?

 ニーチェの「力への意思」や「超人」の概念はナチスによって間違った使われ方をされたという事実もある。ニーチェはあくまでも自己成長のために「力への意思」や「超人」の概念を提唱したが、強者こそが正義で弱者は淘汰されるべきであるという人種的優越や権力支配を正当化するためにも利用されたという側面がある。自分達の生きる意味を新しく提唱してくれたニーチェの考えを飛躍させて、政治的に利用した例である。

 画期的な概念や考えは私達の暮らしを良い方向へ導く可能性があるが、それと同時に悪用されてしまう可能性もあるということだ。

 現代でいうとAIが生活に不可欠になってくるだろうが、法整備が追い付いていない。いろんな悪用のされかたがあるとおもうが、生活を豊かにしていく道具として使っていきたい。

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