心の状態で人生は決まるといっても過言ではない。心をコントロールする方法を解説してくれている「心を道具化する技術 小川清史 著」で印象に残った点を解説して、自分の生活にどう活かしていくかを紹介したいと思う。
心は道具化できる
「心に浮かんだ感情=自分」ではないという意識がかなり印象に残った。仕事場でイライラしている自分が本来の自分なのかと言われると、そうではない。心という自分の一部が何かに反応してイライラという感情を生み出しているに過ぎない。ここでそのイライラを感情に任せて周囲にまき散らすのではなく、その感情に向き合えるのが本来の自分である。
このように、心は自分の一部であってコントロール可能なもので「心=自分」ではないことは意識すべき重要な点だと思う。感情への反応の仕方が自分を形作るため、心への反応の仕方を変えていけばより良い自分に近づけるということである。
第三者の目線で自分の心を手懐けてあげるイメージをもつと理解しやすいかと思う。マイナスの感情を感じた瞬間に自分の心を観察する第三者の目線に移動する訓練を積むだけでもかなり人生変わりそうな気がする。
心で身体をコントロールする
身体の調子が悪い時、心の調子も悪くなるという事象は誰にでもあると思う。著書の中では逆に心を整えることによって身体も整えることが出来るのではないかと提案している。身体の痛みなどからくる心の不調を俯瞰して、第三者の目線で眺めてあげると自然と身体の痛みからくる心の不快感に囚われなくなる。すると身体の不調に必要以上に意識をもっていかれなくなるため集中すべきことに集中でき、回復も早くなる。
心で身体をコントロールする練習として、何らかの作業を行う前に、まず心の中でその作業を行っている自分を想像してからその想像の作業をなぞるように実際に行動に移すというものがある。自分は自転車通勤だが、信号待ちしてるときに青になったら、ペダルをこぎ始める自分を想像することを最近日課にしている。確かに作業に集中できる感覚があるし、動作にスムーズには入れる感覚がある。スポーツや勉強を始める前のルーティンにいいかもしれない。
他にも姿勢を正す意識や歩きからの意識など、心でイメージしたことを実際に行動に移すトレーニングを日常生活に取り入れていこうと思う。
心のコントロールを活かすのは仕事場だけか?
自分の場合、心が乱される場面を想像すると職場になる。職場では心を乱さないように第三者の目線で自分を俯瞰してみている。しかし、最も自分の大切な人達を想像したときいつも自分は甘えてばかりいたことに気付いた。自分を大切にしてくれている人達の前では気が緩みがちだが、一番態度を改めるべきは家族と一緒にいるときだ。GWで実家に帰省したが、心を緩めることも忘れず、家族に甘えすぎないように自分の言動を客観視することに努めた。かなり、家族に対して優しい言葉をかけることができたし、一歩大人として対等に親に気遣いを見せることが出来たと思う。
彼女の前などでは、慣れてくるとつい自分感情を悪い方向にさらけ出しすぎるが、ここも第三者の目線で自分の心を観察しつつ、行動と気持ちを切り離して考えてよい行動に繋げていきたい。
デートに行ったときは相手に甘えすぎないようにしようと思う。
なりたい自分になるのではなく、すでになっている
なりたい自分や行いたい行動に着目しすぎると、今の自分とのギャップにやられて気分が沈むことがある。そこで著書の中ではもう理想の自分になっていてその精度を高めるために自分は行動や思考を制御するように努めているんだという考え方を紹介している。確かに、もう自分は理想の自分になっていると考えるとギャップを感じないし、取るべき行動は当たり前にとれるわけで、ただ継続していると考えると気持ちも楽だ。
自分は猫背で自信がないように見えるというコンプレックスがあったが、自分はいつも姿勢がよくてはつらつと歩く人なんだと思ってたら自然と姿勢意識する時間が増え、最近始めて姿勢がいいねと言われた。形からでもいいからやりたい行動をとっていると勝手に自信はあとからついてくることが分かった。