「中動態」という言葉を聞いたことがある人はいるだろうか?今回読んだ本で中動態の世界を学ぶことができた。國分巧一朗著の「中動態の世界 意志と責任の考古学」である。もともと國分先生の「暇と退屈の倫理学」を読んだことがあり、「中動態の世界」も読んでみたくなったため今回手に取った。今回学べたことを解説しながら、自分の生活に活かせそうなことを考えていきたい。
中動態とはなにか?
能動と受動は聞いたことがあると思うが、この間にあるのが、中動態である。自分がやっているけれど、自分の意志ではやっていないものを中動態という。
能動態…「私はドアを開ける」→主語が自分の意志で動く(自分が行為の主体)
受動態…「私は先生に褒められた」→主語が行為を受ける(受け身・される側)
能動態…「私は怒りがこみ上げる」→自分の中に生じるものだけれど自分の意志で起こしたわけではない。
中動態は行為が外部からも内部からも生じているような状態をさす。自分が「行為の内部」にいる。しかし、「完全な能動」「完全な受動」ともいえないグレーゾーン。「した」「された」ともいない。
「泣いてしまった」「やめられなかった」「好きになった」すべて自分の中で起こったものだが、コントロールはできていない。自分の意志ではないのに自分の行為になっているものを中動態という。
現代社会で問題になっているもの
ドラッグや賭博、これは法に触れる行為で許されるものではない。しかし、その行為を行った人の背景にもしどうしようもない環境や同情せざるおえない物語があったらどうだろうか。もちろん裁かれるべきなのは間違いないが、行為を説明するときに能動、受動しかない現代ではこういった環境による影響が見逃される場合がある。
報道される内容にも誰が何をした。されたのみでその行為にいたった周りの環境までは深く追求されることがない。こういったグレーゾーンを意識すべき状況は多くあるはずだと思う。
自分達の生活に活かすには
習慣化について考えてみる
自分が身に着けたい習慣を考えたとき、自分の意志を大事にする人は多いと思う。そこに周りの環境を考えてあげると中動態の世界を習慣化に活かせるのではないだろうか。自分の意志だけに頼るのではなく、自分が身に着けようとしてることを行う環境についても追及することで自分の行動の精度を上げることができるはずだ。
具体的に自分の例をあげると朝のリスニングを習慣化したいと思っている。朝起きて自分の意志だけに頼るのはやめて起きたらとりあえずイヤフォンを耳に着けるという動作を最初にするようにした。すぐとれる場所にイヤフォンを置いておくとすぐ、耳につけれる。あとはスマホのアプリを起動させるだけでリスニングを開始することができる。
相手を許す
相手の行動にイラついたときもかなり中動態の世界は有効だと思う。そのイラつく行為を行ったのは相手だが、100%相手の意志によるものかはかなり怪しい。たまたま相手にとって都合の悪いことが起きて虫の居所が悪かったのかもしれない。逆に自分が寝不足で些細な事に反応してしまったのかもしれない。物事の評価をする際には中動態の世界を思い出してほしい。